5.31.2007

二流

最近になって、しょっちゅう思い出すのが、大学時代のアメフト部でのとある一戦。4年生だった時、永年のライバルである早稲田との(プレイヤーとしての)人生最後の早慶戦。結果は、21対23という僅差で負けた。ちなみに自分がプレーをした試合において、早慶戦に負けたのは、中学の時の都大会予選決勝で早実に負けた(この時が初めての早慶戦)時以来初めて。その後は高校大学を通じて、アメフトでは実は早稲田に負けていない。そう、最初と最後だけ負けた。

この試合は、自分の中ではとてつもなく大きな意味を持つ。その理由は、この試合で、つくづく自分は決して一流にはなれず、よくて二流止まりだ、ということを感じたからだ。

そしてこれはトラウマに近い形で自分の記憶の中に残り、そして今日もまた夢に見た。寝苦しい夜だった。

もともとアメフト的に求められる体躯には恵まれず、身長があと5センチくらい高ければ、と思っていたが、それでも一部リーグ屈指のディフェンス・チーム(記録を見ると、当時の一部の中で法政に続いて2位!)でプレーできていたことは誇りに思っていた。しかも高校卒業してから一度アメフトを辞めて、また途中入部(大学2年終業時)したという意味でブランクというハンディキャップを背負っており、それでも何とか皆について行けるほどに成長し、そのことは素直に当時は嬉しかった。

こんな僅差の試合(本当に最後の最後まで結果が分からなかった)では、その場でプレーした誰もが少なからず自分のせいで、と思うものだが、俺自身にも2つ今でも鮮やかに思い出すミスがある。

1つ目は相手のパスプレーで飛んで来た球をインターセプト(ディフェンスが横取りすること)できたにも関わらず、ジャンピングキャッチをし損ねたこと。

2つ目は、当時早稲田のクォーターバックはその後NFLヨーロッパにも進出した波木君だったのだが、彼のランニングプレーがどうしても止まらず、ディフェンスのコーチがわざわざ俺のポジションをど真ん中にしてあいつだけを止めろ、と言う即席の作戦変更を命じたにも関わらず、決定的な運動能力の差でそれすら適わなかったこと。

自分がもっと練習をしていれば、自分がもっとその場で冷静に状況に対処していれば、自分がもっと・・・と、今でも思い出すと悔しくなる。

しかし、それよりも何よりもエグい現実は、きっとその当時の自分はやれるだけの実力を十分に出していた、ということ。つまりあれがきっと当時の自分の能力の限界だったのだ。一流にはなれなかった。

アメフトから多くのことを学び成長した。一方で、今でも怯えるのは、その瞬間にミスを犯してしまう自分。あれから少しは成長したのだろうか?この先自分は一流になり得るのだろうか?まだまだ自問自答の日々は続くに違いない。いつの日か、この夢に怯えない日が来るまで。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

何をもって一流となすかは個人の主観によるところも大きいですが、私もそのような気持ちになることがしばしばあります。
でもmokayamaさんは広く一般的な視点からみれば一流と呼べる範疇にいると思いますよ。
もちろん目指すところは高いほうがいいですけどね。