8.16.2007

モデルの言い訳

モデルと言っても、リア・ディゾンとかの「モデル」ではないです。悪しからず。

米国のサブプライム問題に端を発した信用不安は世界中の金融市場に影響を与えています。そんな中、ゴールドマン・サックスの傘下のヘッジファンドも運用成績の悪化に伴ない、急遽30億ドルの資金注入を行なうことになりました。

Riskという雑誌のブログがゴールドマンのCFOによる「言い訳」をぴしゃりと叩いた記事がこちら。
Over the Counter: Goldman Sachs and the Infinite Improbability Drive Archives

このヘッジファンドはいわゆるクオンツなので、彼らのモデルを軸にしたある種機械的な運用を行なっている。その中で、この荒れる市場環境の中、"We were seeing things that were 25-standard deviation moves, several days in a row"と言っている。これは0.0000000000000000000000000000000000000000000001%より更に更に低い確率の出来事が複数日連続して起こった、と言っているに等しい。

そりゃ大変だ。

ではない。このモデル自体が間違っているのだ。市場でそんなに有り得ないことが起こったのではなく、彼らの仮定しているモデルがこんな出来事を想定していなかったからであり、だからこそ彼らのモデルはこんなに有り得ない数字を出してくるわけだ。CFOは有り得ないことが起こったことを説明しているのだが、有り得ないことが起こったからではなく、彼らのモデルが間違っていただけだ。発生した出来事は十分に有り得るから発生しただけだ。

学生時代に細胞をコンピュータ上でシミュレートするというプロジェクトに参加していた。それはとてもexcitingで、もちろんこのプロジェクト自体は壮大なプランのもと現在進行形なわけだが、自分としてはある種の限界を感じた。その限界は、時代が進むごとにやがて解決されていく問題なのかどうかは今でもまだ分からない。ただ細胞は存在しているものなので、突き詰め続ければいつかは全記述はコンピュータ上でも可能なのかもしれない。

自分が当時感じた(そして今でも感じている)限界は、モデルはモデルであって実物足り得ない、という点だ。つまり、とある仮定条件の中では働く数理的な方程式は、その仮定条件が崩れれば全く無意味なほどに働かない。実物は開放系であるので、そもそも仮定条件が変わることを前提にしなければならないし、また非線形システムにおいては、ある局所の記述をモデルがしている(ごく限られたスペースにおいて非線形が線形であることを仮定している)わけであって、微小な差異が、システム全体を違う相に連れ去ってしまう。

つまりゴールドマンのクオンツモデルも、ある一部の局面における市場を表現するのには適していたが、今回のような局面においては、すでにモデルが想定している相場を逸しているのだから、モデルが語る25標準偏差の変化というもの自体が意味のない数字だ。

複数のモデルを使い分けることでこのような変化に対応できるのかもしれない。ただそうなると複数のモデルをスイッチする場面を決めるメタ・モデルもまた必要となってくる。そこは人の勘に頼っているのが現状だろう。ところが人の勘は自分たちの経験が元になっている場合が多い。だから、結局自分たちの勘をもとにおこした行動は、ヒストリカルな出来事を越えることはできない。逆張りも手かもしれないけれども、では何をもって逆張りかと言われればそれもはっきりしない。

自分は運用のプロではないけれども、「やはり自分の勘」はモデル手法を他の手法と比べた場合、優劣はつけられないことを語っている。勝ち続ける手法などなく、あるのは今まで勝っているか負けているかの事実のみ。またその事実も未来は語らない。

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