6.26.2008

さようなら、ジョディ

とても悲しい出来事がありました。2008年6月25日、12年間生きてきた実家の愛犬のジョディがその生命を全うしました。仕事場に親から電話があり、たまたま息子を実家に預けていたこともあり、仕事を終えて妻と共にすぐに実家に駆け付けました。

冷たくなって横たわっているジョディの顔を見た瞬間に、とてつもない悲しみに襲われ、涙が溢れて止まりませんでした。実家から自宅に帰ってきた今も、心の整理は十分についてはいません。ただ忘れないうちに書いておかないと、と思ってこれを書いています。

ジョディ(ウェスト・ハイランド・ホワイト・テリア、♀)は実は消化器系の病気を持っていて、5歳の時に発病して以来、常にアップダウンを繰り返してきていました。初めてこの病気が発覚したのは、私がNYに半年ほど滞在していたときのこと。もう駄目かもしれない、と言われながらも何度も危機を乗り越えてきました。発病以来、片時も薬を離すことが出来ず、常に投薬を受けていました。毛も抜けて、なんともいえない可哀想な姿になったりしながら、また薬の影響か、体臭もひどくなり、それでも私たち家族にとっては、いつでも可愛いジョディであり続けていました。

実は病気になってからの7年間は、私自身は実家を出てしまったこともあり、また結婚してからは自分たちでも犬を2匹飼っているので、正直最近ではジョディの世話をしてあげたりしたわけではありません。ただ、まだ仔犬だったジョディを埼玉県のブリーダーさんのところまで引き取りに行き、とても小さくて車の後部座席の肘掛の中に納まっていたジョディの姿や、私の部屋のアメフトのカバンの周りをウロウロしながらオシッコをひっかけていったジョディの姿や、初めての散歩で近所の犬に吠えられて全速力で逃げるジョディの姿や、当時高校二年だった自分の青春時代の多くの部分を共にすごしてきたジョディの姿は、目の前の小さな死骸には見る影もなく、彼女の死に、今非常に堪えかねています。

でもジョディは病気をしてからの後世は、それでも幸せだったと思います。母を中心に、家族からの暖かい愛情を一手に引き受け、わがまま放題ではありましたが、いつも愛くるしい顔をして、大好きなサンルームから大好きな庭を日向ぼっこをしながら眺めていました。死の直前もサンルームにいたようです。そこから二、三歩動いたところで力尽きて倒れ、冷たくなっていたと聞きました。でもその顔は、まるで夢を見ているような安らかな寝顔で、それを見てきっとジョディは自分の一生を十分に満喫して死んでいったんだろうな、と思いました。病気の苦しみからは解放された天国で、今まであんまり満足に出来なかった散歩を十分にして、嫌いな猫ちゃん達を駆けずり回って追いかけて元気に過ごして欲しいと思います。

別れ際に、ジョディの臭い頭の毛を少しだけ刈ってラップにつつんでもらってきました。明日には荼毘に付されてしまいます。家に持って帰ったジョディの毛は、大切に思い出と共に包んでおこうと思います。結婚祝いに両親からもらった私の半生が記された写真アルバムの一番最後のページはジョディの写真でした。今、ジョディの毛は、その写真と共に一生忘れることのない思い出としてアルバムに挟まれています。

さようなら、ジョディ。また会える日まで元気でね。

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