1.31.2013

頑張れ中学受験生!

明日はいよいよ中学受験本番。うちの息子はまだまだ小さいが、会社の同僚の子女の一部は明日試験を受けるという。そんな話をしていたら、20年以上も前の自分の姿を思い出した。

あの年の2月1日は都内は大雪で交通機関には一部乱れが見られた。試験開始時間も遅れた記憶がある。親に連れられて、「すべらないように」気をつけて登った学校までの坂道。今は同じ坂道を息子の体操教室に行くのに登っているのが感慨深い。

1日目に受けた学校は、難関校だった。でも自分では、実はそれほど強くは行きたいとは思っておらず、本当は第三志望校だったのだ。なのでそれほど緊張もせず、何とかなるさ、と思って受けていた。しかも、これはハッキリと記憶しているのだが、齢わずか12歳の男の子にして、「塾の宣伝のために」受からなきゃいけない、と思っていたのだ。塾にはそれほどに恩義は感じていたし、実は友人関係も未だに続いている程、楽しい場所だったのだ。ただ、子供にそんな事を感じさせる受験産業って、ちょっとだけ恐ろしくもある。

なんやかんやで1日の試験も終わり、結果も「すべらず」にすんだ(笑)。

2日は地震で夜を明けた。また若干交通機関が乱れたが、たいしたことはなかった。しかし、第2希望だった2日目の学校は、この年初めての募集だったので、試験の傾向も対策もなく、そして結果は惨敗だった。

3日はいわゆる「すべり止め」。これって今聞くとすごく失礼な言い方だ。その学校の出身者は結構周りにいるが、人間的にとてもいい奴が多いし、立派な社会人が多い気がする。まぁでも受験的に言えばすべり止めの為に受けた。

4日は、お休み。5日の第一志望の前なんだから、最後の猛特訓。な〜んてガラではなかった。なんせテスト勉強が、その頃から、出来ない子だったのだ。今思えばよくキチンと塾に通っていたと思う。先生と友達に恵まれていたからだな。4日は、学校に行って、当時大好きだったバスケを思いっきりやって帰って来た。とにかく当時は好きだった、バスケが。バスケと同じくらい好きだった女の子がミニバスやってた、というのも大きな理由だったが(ピッピ元気かな?笑)

5日は、第一志望。これはさすがにちょっと緊張した。何が何でもエスカレーター式の学校に行きたかった、という完全に舐めた小学生だったが、とにかく本当に二度と受験はゴメンだ、との思いが強く、ここには絶対受からなきゃいけないんだ、って思って、とても緊張したのをよく覚えている。

それが母校との出会いだったのだ。


中学受験とは何だったのだろうか?

僕にとっては、とても嫌なものだったけれども、間違いなく今の自分を形作ったものだ。第一志望の学校に入れたから中高大と好きなことだけをやって来れたし、自分の人格を形成するための良い教育を受けさせてもらったと感謝している。

では、もし失敗していたら、今の自分はどうなっていただろうか?

完全な思考実験だからあまり意味はないけれども、でも失敗していたとしても、きっと今とそれ程変わらない生活を送っている気がする。もしくは、ひょっとしたら今より成功していたりしたかもしれない。

どうなっていたか、なんて分からない。だから要は、結果なんてただの結果であって、それが何か未来を決めてしまうものでは全然ない。

ありきたりかもしれないけど、むしろそこからどういう人生を過ごすかがものすごく重要で、どこに受かろうがどこに落ちようが、それ自体はたいした事ではないと思う。ましてや中学だ。気に入らなければ、高校でやり直せばいい。大学でもいい。そして、一番大事なのは、中学受験に失敗して、不本意ながら行ったという中学を、なんだかんだ言って楽しめない人を、少なくとも僕はあまり知らない。もちろん中学受験と別の理由で学校を楽しめなかった人はいるが、試験に失敗したから行った別の学校だから嫌だった、と卒業まで思っている人なんて聞いた事がない。それは、テストなんて本当に一過性のもので、どこの学校に行ったって、必ずやいい出会いや、新しい自分を発見するチャンスがある。テストは、人の優劣を決めるためのものではなく、ルーレットとほぼ等しいだけの効果しかない。

なんて、このブログを明日中学受験する子達が読むとは到底思えないけど、届かないエールを、明日からの数日間を戦う全国の小学6年生に送りたく、ちょっと書いてみました。

自己紹介

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東京都, Japan
自分で言うのも何だが、比較的周囲の人達に恵まれてきた。充実した学生生活を送り、独身生活を経て、エキサイティングな結婚生活とパパ業を営みながら、スーパーサラリーマンを目指している。 ただし、本当はサラリーマンでなければもっと良いと思っている(起業家とか。)でも兼業は可能なはず、だし、出来るならリスク調整後リターンを最大にしたいと考えているため、サラリーマンの特権を活かすことができたら、とも考えている。