その後、園長先生の教育方針についてご説明があった。基本的には子供を教育する上での基本である心身のバランスのとれた成長を促すための話であったが、2つポイントがあったとすると、結果ではなく努力の過程を褒めてあげること、そしてルカの福音書から「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」という一節を引用され、神から与えられたギフトへの感謝の気持ちを通じた他者との心の交流、ということだったと思う。
肝心なのは親の子に対する教育の方針と合致するかどうかだ。幼稚園ではこう、家ではこう、では子供も混乱するであろう。幼稚園でもこう、家でもこう、でないと。
うちはどうなんだろうか?非常に難しい。親の願いとして思うのは、小さな男にならないで欲しい、ということだ。そして常に前向きでいて欲しい。そうすれば、あとは自律的に育つ子になると信じている。
カトリックを軸とした指導では、自由と規律のバランスの上では、まず規律から入る、と思われる。特に幼児時期では、社会性を得るために重要ではあるが、バランスが一番心配でもある。小さい子供にとって、神様の存在感は絶大なものがある。ただ、それが故に、神様の存在を限界点として、思考を止めて欲しくはない。神社で悪事を働いた福澤諭吉くらいであって欲しいと思う。
ただ身につまされるのは、園長先生もさりとて親の背中を見てしか子供は成長しない、と仰られた。その通りなのだろう。どんなに忙しくとも、子供はしっかり見ているし、自分に愛情が向けられているかどうかには、非常に敏感だ。それを親としても自覚しなくては、と改めて思った。
考え方によっては、幼稚園に入れなくても良いのかもしれない。そのかわり、親として子供にどのような教育をしてあげられるのか、をきちんと再考した上で、この子なりの教育メソッドを構築してあげなければならない。
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