暴走する資本主義
久々に読書メモ。本を読んでいなかったわけではないのですが、あまりメモするに値する本がなかったこととあっても純粋に書く時間がなかったのと、という言い訳です。
「暴走する資本主義」を読みました。元米国労働長官(Secratary of Labor)であったRobert Reich氏による著作です。ちなみに原題はSupercapitalism: The Transformation of Business, Democracy, and Everyday Lifeです。著作に関するインタビュー記事がこちらにあります。
共産主義vs資本主義の戦いに勝った資本主義ですが、民主的に社会を支配していた「企業家=ステートマン」達は(ただしその期間は歴史の中では短かったと私は認識していますが。。。)、政府による規制のもとにあった寡占状態(1970年代までの資本主義黄金期)から、しだいに過剰な競争に突入し(技術の進歩化、規制緩和、グローバリゼーションを要因とする)、如何に安くものを提供し(消費者を喜ばせる)、如何に利益を上げるか(投資家を喜ばせる)、という要素が過剰にハバを聞かせるSupercapitalism超資本主義へと移行して行ってしまっているのが現状です。という論調がこの本のテーマ。
世の中がこのルールのもとで走ってしまっているので、それに乗っからないと負けてしまい、乗らざるをえないのだけれども、誰もがどこかでこれは永続的なものではない、と感じています(これを著者は消費者・投資家としての視点と市民としての視点の対立、という表現でよく表している)。まさに自分もその通りで、仕事の上ではカネが国境を越えて移動していく仕組みの手助けをしており、頑張れば頑張るほど(=投資家を喜ばせれば喜ばせるほど)カネの動く速度が早くなっていき、コントロールが効かなくなっていくのではないか、という懸念もあります。そういった小市民の一抹の不安、親としての子供そしてまたその次の子供の世代に残していく社会の仕組みへの不安ですが、そういったものへの対応策なんかに頭を回している暇が段々なくなるくらいに世の中って動きが早くなってきています。
一度経験してしまっているのでもう後戻りは出来ない、というのが人間の性です。じゃあどうしたら良いのだろうか?という答えは、色々あるのだろうけれども、本書ではそれが一つには企業から人格を剥奪することだ、という視点は自分にとってはすごく新しかった。
しかしあらゆる施策を打つにしろ、この市場原理主義を修正するためには経済原理をうまく当てはめながら修正していくしかないのだと思います(目には目を)。例えば近頃話題の環境問題に関してはカーボン・タックスや排出権制度の導入により、環境を配慮するコストに公平性を持たせたり、要は、多数の市民や社会福祉にとってネガティブに作用するものに関しては「懲罰」を与える仕組みを作ってあげることが良いのではないかと思います。それも市場を創出することで。