9.30.2008

抑圧からの解放

この週末に友人の結婚式を通じて(飲んだくれて)色々な人と話をしていて、今自分が置かれている環境を今日になって(酒浸りからのリハビリのために事前に有給休暇申請済み)改めて一人になってから見つめ直した時に、少しブルーになった。ちょうどそこに妻が帰って来てくれて話を聞いてくれて助かった。彼女は自分の良き理解者。

ということで自分自身の分析+彼女のコメントによると、どうやら俺は見えない自分自身の内からの力によって抑圧されていそう。「根っからの楽観主義者で、外向的で、仕事にもマジメで、褒められる旦那であり、良き父親であり」たい、と思っている自分自身が苦しめているところがあるのかもしれない。楽観主義者であるには違いないけれども、たまには悲観的になることもある。悲観的になりたいのに楽観的であることを期待されていて苦しむ自分。外向的で人が大好きだけれども、嫌いなヤツもいるし、人としゃべりたくない時もある。

結婚式の四次会でもあった友人からのコメント。俺は「手堅い」らしい。つまり大はずれも大当たりもせず、まぁそこら辺の安心感ってのが良いのかもしれないけれども、見方によっちゃあんまり面白くはない。でも自分は本当は色々と面白くありたい。たまには無茶もしたい、と考えている。

自分自身の人生は、非常に恵まれているし、周りの奴らも本当に良いヤツが多くて、こいつらと一生付き合っていこうと思う仲間が何人もいて、仕事も方向転換を図った事が幸いして今のところうまく行っているし、この世で一番大切な自分の家庭を持つ事も出来た。この上何を望んだら良いんだろう?これ以上を望んだらバチが当たる。と思っていたのかもしれない。

タガを外しちゃいかん、とは思っているけれど、抑圧はよろしくないな。もうちょっと考えよう。来月にはとうとう20代最後の歳に突入するわけで。30歳を前にもう一度自分の在り方を考える年にしたいと思います。

ということを、妻が寝た後こっそりと大好きなウィスキーを久々に引っ張りだしてチビっとだけ飲みながら書いてみました。

9.27.2008

朝まで見られない生テレビ

寝ようと思ったら朝生やっていて、ついつい見てしまったけど、もうやめ
た。エコノミストの水野氏や自民党のいくつかの意見と民主党の1
人の男性議員だけは良かったけど、その話の腰を折る無知なアホ議員やエ
セ経済アナリストが話にならなさ過ぎて。。。

テレ朝も人選をもう少し考えればいいのに。

それが策略なのかもしれないけど少数意見を代表している一部野党は吠え
るだけであって、でも平民的感情論に訴えるのでアンチ自民党というセン
チメンタルが中身の議論より前に来てしまう。

日本の政治は政治家と世論の両方の面において未熟だなぁ。

アポトーシス

実は何を隠そう大学では分子生物学関係の勉強をしていました。といってもin vivoやin vitroと呼ばれるような伝統的な生物学の手法ではなく、in silicoと呼ばれるコンピュータを使ったモデリング手法を用いて生命現象の解明をする、なんていう随分と大層なことをやろうとしておりました。

といっても、実際には大学院にも行かず、いわばかじった程度の、勉強をしていました、なんてとてもじゃないけれども恥ずかしくて言えないレベルでしたけど。

ただふとアポトーシスのことを思い出しました。アポトーシスとは実は生命の細胞に組み込まれている「自殺」プログラムです。あることをきっかけにその細胞は自分で自分自身を殺すプログラムを発動させる、という機能があります。ガンなんかの発生を未然に防ぐのはアポトーシスによるものだという話もあります。(自身がガン化しそうになったときに自らを殺すことで、他の細胞への伝播を防ぐ)

これって実は非常に巧妙だけれども、不思議な仕組みで、なぜなら一つ一つの細胞は生き長らえるという目的に一直線に進んでいるにも関わらず、そういった細胞がたくさん集まっている環境の中では、生命システムの自浄作用のような形で、ある特定の細胞群が集団自殺を図ったりする(図ったりというか実際に死んでしまうのだけれども・・・)。よく出来てるとしか言いようがない。

なんでこんなアポトーシスのことを思い出したかと言うと、ちょうど今起こっている金融危機にアナロジーを感じたからです。一つ一つのプレイヤーは、ただ儲けるという目的に向かってひたすら突き進む中、うまく行かなくなる感じになるところで自浄作用(いくつかの金融機関の破綻=自殺)が働く。

そういう意味ではある種のハードランディングではありますが、システム的アプローチで眺めた時には実にうまく言っているのかもしれない。つまり暴走してシステム全体が崩壊、停止(=システム自体の死)を迎える前に、システムの中のガンを取り除くプログラムが発動した、というのが今回の一連の出来事なのかもしれない、と思えるわけです。

そしてアポトーシスが終了したあとは、システムとしては次のフェーズに向かう可能性も出てきます(全体としては変わらず、また同じ事を繰り返す可能性も当然のことながらありますが)。次のフェーズの全体像は、あるとすれば、まだ見えて来てはいませんが、少なくともここ暫くにおいては、暴走しそうな可能性のある仕組みが抑えられるような形に進んでいるようです。

誰もが適度にリスクがコントロールされた形で、思い思いの力を発揮して、全体としては安定した成長を遂げる、というのが理想ではありますが、安定成長が線形的に実現するなんていうことは現実世界では有り得ない。なかなか難しいです。

9.21.2008

また適当なぼやきではあるのですが、、、

怒濤の一週間でした。金融市場。基本的には人の腹で商売しているので、直接的には自分達の腹を痛める事なく、とは言っても間接的には手数料の減少につながる「冷や水」であるので、他人事ではありませんが。

しかし、こんな形であっという間に崩壊していく市場を眺めていると、一体これ(金融市場)は何なんだ?ということが良く分からなくなってきました。ものすごくプリミティブな部分で、価値を持つものと持たないもの、もっと言うと昨日まで価値を持っていたものが今日には無価値になってしまうもの、を巡って狂喜乱舞が繰り広げられている。狂喜乱舞の源泉は勿論リアルマネーなのだけれども、それが仲介機能をいくつも通過していく中で、実態なきものを巡るチキンレースへと変わっていく。そしてポイントとしては、誰もがこのチキンレースから降りるわけには行かない点だ。降りた途端に、干されて食い扶持を失ってしまう。

こういった仕組みを否定したところで、もうそうやって動いてしまっているわけだから、そんな意味のない議論をするつもりは全くないのだが、仕組みが不完全であることには違いなく、またその不完全性が儲けの源泉になっていることもあり、なかなかこれは根が深い問題だと改めて気が付かされた。

だからといって今すぐどうこうっていうのはないのだが、ここにきてそういった社会の不完全性にスポットライトを当ててみるのも面白いと思い始めて来た。歴史は常にこういう歪みとそれを是正するもの、そしてまた次の歪み、というイタチごっこで成り立っている。普段はまったく気にせず、というより表層部分ではそういった歪みは見えて来ていないのだが、実は裏の面では色々と蠢いている何かが存在している。そういったものが時に吹き出しては消え、そしていつか表層部分に違った相を作り上げる原因となったりしている。また表には決して現れないが実は大きく影響を及ぼしているアウトローな力も存在しているはず。

歴史なんかでいうと謀略史観なんていうのがあって、例えば実は「○○という事件と××という事件は全て△△系のグループが裏で操っていて」なんていう一部には眉唾ものっぽい匂いのする話も含まれていたりするのだが、それが事実であるかどうかは別にしておいて、そういう表層面に現れている事象というのは実はとある物事の一面だけを捉えていないのかもしれないから、別の尺度で切り込んでいくことも考え方としてはものすごく重要。またそういう人の世の多面性を包括的に取り込めるようなことにものすごく興味がある。

作り上げられたものではなく、本質を捉えてみたい。社会で作られているルールなんて、人が適当に作り上げたものなのだから、実は例えば経済学なんかでいうと実験経済学的なアプローチがもの凄く気になったりしている。

9.15.2008

決意⁉

昼寝をしようとしていた時、ふと部活をしていた頃の合宿を思い出した。あの頃は身体が怠くても、自分に鞭をふるい、死んだように眠った昼寝から目を覚まし、午後の練習へと向かったものだった。それが今じゃ、少しでも疲れてればもうダメ、身体がいうこと聞かず、すぐにゴロゴロしてしまう。情けない。

このまま、ダレた大人になってしまうのは、いかがなものか。めっき 弱くなった自分が哀しい。

弛んだ身体に楔を打ち込むことにしました。ぶよった背肉と何より貧弱な自分自身に打ち勝つため、この秋は少し追い込んでみようかと思います。どれだけ変わるか。

9.14.2008

おひさしぶりですが

最近あんまりブログも書いておらず、約1ヶ月ぶり。三連休の初日の夜なので、ちょいちょい書いてみる事に。

仕事面では組織が変革して行こうとしている中、組織論だけ先行してしまって、その先にあるビジョンが置き去りにされていることに苛立ちを覚え、色々とぶつかってはいるものの、どうもうまく響かないことにややストレスを抱え気味。ひょっとしたら自分みたいなレベルで考え過ぎなのかもしれないけれども、逆にこのレベルにおいて考えさせられてしまっている現状が問題なのかもしれないとも思う。言ってしまえば上がだらしない。言い過ぎかもしれないけど。

確かに色々な制約を抱えながら、不確定要素を感じながら、またそれ相応の重圧がかかりながら、中間管理職しているんだと思うけれども、いわゆる「中間」になっちゃいけないよなぁ。一生そこに留まるのならいざ知らず、更に上に行った時には、一層逆風の中を進まなきゃ行けないんだから、その前段階にあってもリスクを取ることをして欲しいと思う。自分なんかにはリスクなんぞないからお気楽な発言なように聞こえているのかもしれないけど。。。

最近「侠気」に魅力を感じます。自分が上に立った時には侠気を持った人間になりたいと思います。別に変に突っ張る必要はないし、うまく折り合うことも重要なんだけれども、やっぱりこう信念を持った上でそれを曲げずにリスクを取って進む強さや、仮に失敗してしまっても仕方がないと思える潔さがないと、長期にわたって信用を得て行く事は難しいんじゃないかな、と思います。周り360度から。策士っていうのも、そりゃ頭も良さそうだし、少ない労力でするする〜っと行ける人ってのもいるんだけども、それはそれですごい能力だと思うけれども、やっぱりここぞという時になって、どちらに付いて行く?って言われたら、俺は圧倒的に侠気派。策士は策が尽きたらもう手助けはない。けれども情ってのは、最後に有り得ない状況であっても救いの手立てが来る唯一の手段な気がする。だからそういう局面であればあるほど、侠気が役に立つのかなとも思います。もちろんビジネスの局面に「情」なんて挟んで行くことは許されないんだけれども、結局ビジネス判断の裏側には人と人のつながりの積み重ねがあるから、労力はかかるかもしれないけれども、骨太の関係を築くにはやっぱりそこだなぁって思います。

かっこよくなくて良いけど、かっこ悪くなりたくないです。