1.01.2009

2009年開幕!美学の確立に向けたスタート

最近の定例となりつつあるCDTVの年越しライブと共に2009年を迎えました。今年も宜しくお願い致します。

2008年は大変な年でした。このブログは2006年の1月にスタートしましたが、それ以来1月欠かすことは決してなかったにも関わらず、2008年12月は結局1つも投稿なく終わってしまいました。12月は、全く年の瀬感がないまま、バタバタとしてあっという間に終わってしまいました。そして2009年に入ってしまったわけです。

2008年の新年のご挨拶では、そんな2008年を予期していたのか、自分でこう書いています。

(前略)別に今の仕事に不満が有るとか、他に有力な領域を発見したとか、そういう目に見えて言葉で語ることが出来るものではなく、むしろそうであった方が有難い。ただ無邪気に2008年はこれとこれとこれを達成目標とします、というレベルでは方向感を見失ってしまうような危機感を覚え始めている、ということです。


2002年に社会人となってからもうすぐ丸7年が経ち、8年目に突入するわけですが、どうも2008年は大きく社会が変化を遂げるきっかけとなった年であったようです。ジェットコースターで言えば、7年かけてカタカタいいながら最初のスロープをモーターで引き上げられながら最頂点にまで上がり、それまで余裕ぶっこいていたのが、突然激しい急降下に襲われ、声も出なくなっている状態です。しかしもう降りるわけには行かず、そもそも出発点でチキンウェイから下りることすら考えてもいなくて、もうこの先このジェットコースターに乗り続け慣れて行くしかないわけですが、想像以上にすんごい乗り物でした。

さて2009年ですが、もうこうなったら楽しむしかありません。乗ってしまったもんは乗ってしまったので、乗り物に文句を言ったところで何も始まらず。むしろ握り締めていたバーから両手をそっと離して、頭上高く両腕を突き上げ、攻めの姿勢を見せて、横G、縦G、なんでも楽しまなければなりません。

外部環境に対する2009年の姿勢はこんな感じですが、それとは別に自分の内面でのテーマをここ数日考えています。それは「自分の美学の確立」です。折りしも社会では物質的な豊かさを追い求めてきた資本原理主義の歪みが問題を引き起こしていますが、アンチテーゼとしての精神的な豊かさの重要さを改めて感じる局面が、特に2008年の後半は多くありました。

心が豊かな人とはどんな人だろう、とずーっと考えていたのですが、行き着いたのは「美学」を持っている人(そしてそれを貫いている人)は、どういうものであれ心豊かに日々過ごしている、という発見でした。心が豊かであるということは、それなりに自分自身に満足が行っていると思います。その満足って、やっぱり軸がぶれていると得ることは出来ないでしょう。「美学」が美しいかどうかは人が決める必要はなく、自分で自分の心に偽りなくいられる(=美しさ)かどうかで良いのでは?

今残念ながら自分の美学はこう、と言えるものはなく、というかもっと言ってしまうと、自分の内面にもっと向き合わない限り決して見つけることすらできない状態。2009年はそんな暗闇から脱出することを(自分の置かれた環境を楽しむことに加えて)もうひとつのテーマとして行こうと思っています。