7.15.2007

神は妄想だったのか?

神は妄想である―宗教との決別リチャード・ドーキンスが宗教を切り捨て、神は人類が歴史の中で保身を得る為に進化させてきた思考方法の副作用の結果現れた妄想であると言い放つ。今日の日経新聞の書評にも出ていた。

自分自身は無宗教だが、神秘的なものには感動する。以前読んだ、天使と悪魔では、科学と宗教の距離感について納得させられるものが多かったが、この本はその距離感をも否定する意味で、究極の「科学主義右派」である。ちなみに、そのように呼ばれること自体を著者は毛嫌いしているが。

あらゆる宗教は、その程度の差は関係なく、突き詰めて行くと原理主義に行き着かざるをえないとドーキンスは言う。敬虔であればあるほどだ。ただそれはユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に関する考察であって、多神教にまで及んだ言及がなかったことは、キリスト教社会(欧米)に生きる著者の限界か。日本の神風特攻隊に関する記述は少しだけあったものの。

池田信夫氏のブログの書評でも散々なようだが、しかしながらトータルで読んだ時に、無知な自分にはそれなりに受け入れられる論理ではあった。宗教から自由でいる自分には(多くの日本人には)、他人の話ではあったが、それでも宗教や神を前提とすることで停止してしまう思考方法を批判するドーキンスには同調できる。思考には絶対的な物をおいてはそこを超えられない。宗教的な人にとっては、超えることすら頭にはないのだろが、キリスト教原理主義対イスラム教原理主義の争いを引いてみれば、超える必要性があるのは甚だ明らかなのに。でも超えられない。

学生時代には生命情報学を専攻していたが、ロマンチストでもあったので、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を当時は受け入れられなかった。今また読んでみると面白いかもしれない。



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